皇太子凱旋門

市民の間で皇太子凱旋門と呼ばれているニコライ凱旋門は、市中心地にあるコラベリナヤ海岸通りのそばにあります。このモニュメントの歴史は、ニコライ・ロマノフ皇太子がウラジオストクを訪問する予定、という通知が届いた1891年1月に始まりました。ウラジオストク市議会が貴賓を迎える準備の際の様々な課題を検討し、皇太子を記念して石造の凱旋門を建設することを決定しました。

設計は建築家コノヴァーロフによって行われました。建設は同年3月に開始され、5千ルーブルが市の予算から割り当てられ、商人会も更に4千ルーブルを追加しました。凱旋門は19世紀末から20世紀初頭の建築に象徴的な、ロシア様式で建てられました。海の門としてのウラジオストクを象徴し、将来の皇帝がここを通って堂々と街に入るという計画が立てられました。予定通り、1891年5月12日に凱旋門の下で、銀皿に置いたパンと塩という伝統的な出迎えの儀式によって、マコーフスキー市長が皇太子を迎えました。

ソビエト時代には凱旋門は大きな変化に耐えなければなりませんでした。1923年には君主制のエンブレムとシンボルが全て撤去され、凱旋門もコムソモーリスカヤと改名されました。1930年にはアーチがピエルヴァヤ・マヤ(5月1日)通りの通行の妨げとなるとされ、文化価値のないオブジェとして解体されました。

1998年にウラジオストクの実業家アレクサンダー・イェルモラーエフ氏が凱旋門の再建に寄付することを決め、凱旋門の第二の人生が始まりました。設計図が保存されていなかったため、モニュメントの様子は古い写真、歴史アーカイブの書類や文献を参考にしながら再現されました。新しい凱旋門の開幕式は2003年5月16日に行われました。現在は凱旋門の辺りは市民や観光客の人気を博しています。都市博物館とコラベリナヤ海岸通りの記念モニュメントがすぐそばに位置しています。

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