文:リャチェンコ・オレーシャ

ロシア旅行のエントリー・ゲート

ウラジオストクは「ハブ(拠点)都市」と言えます。海洋・航空の航路や鉄道の路線がここに集中し、ここから展開されます。またここは世界的に有名なシベリア横断鉄道の始点です。この鉄道は、長さ9288㎞で世界最長の鉄道で、ハバロフスク、ウランウデ、イルクーツク、ノボシビルスク、エカテリンブルク、カザンなどの観光都市に停車します。記憶に残るシベリア鉄道旅行を開始する前に、そのエントリーゲートのウラジオストクで2日間ほど過ごすというのはいかがですか?ウラジオストクの観光ポテンシャルはまだ十分に開拓されておらず、今後その発展が期待されています。ウラジオストクはまだ未知で、エキゾチックな旅行先とされています。ある外国人は世界地図を見ても、ウラジオストクがどこにあるのかさえ知りません。今なら新規ルート開拓者の気分が味わえます。他の旅行者の噂や流行にならないうちに、パイオニア精神を持って、私たちの町においでください。

ウラジオストクにおける日本人の足跡を辿りながら

ウラジオストクは日露交流の歴史と直接的な関係があります。ここは両国の接点が多く、文化・歴史的な遺産が豊富です。20世紀の初頭、1918年の革命以前には、町の中心部(ペキンスカヤ通り、コソイ通り、スイフンスカヤ通り、フォンタンナヤ通り)に「日本人町」という自主的な区域が活発に機能していました。ウラジオストク市の当時の在留邦人の生活に関連する歴史的な建物が現在もまだそのまま保存されています(歴史ページをご参照下さい)。また、ウラジオストクは1918-1922年の武力干渉の時代には日本人の帝国主義者によって占領地域の一部となっていました。この地域内には軍事衝突があり、日本出兵部隊の本部が現在の沿海地方内務局ビル内に駐屯していました。また、ナベレジナヤ通りのロタンダや「ディナモ」競技場は日本人の捕虜兵士によって1940-50年代に建設されました。

エコ・ツーリズム愛好者の天国

ウラジオストクは「National Geographic」誌の「世界一美しい港町 のランキングに入りました。本都市は三方面を海に囲まれ、陸は丘が多く起伏に富み、数十の島々が海のかなたまで広がっています。沿海地方には自然保護区や国立自然公園が9つあります。このような数の保護区域を有する地方は、ロシアでは他にはどこにもありません。手つかずのままのタイガ、海の小さな湾や入り江、無人島、岩場、滝など、沿海地方の保護区域の面積の大きさはジャマイカ、キプロス、イスラエルの半分やギリシャ領土の大部分に相当しています。ウラジオストク市内から数キロ離れたところにある無人ビーチでゆっくり寛ぎ、蓮の花を鑑賞し、ロシア一美しい蝶のミヤマカラスアゲハ(Papilio maackii)と出会うことも出来ます。また、アムールタイガ、熊、鹿、ヒョウのフォトハンティングにも出かけられます。

軍事的な特色

もしヨーロッパの人々が「シャツを着て生まれてきた」のであれば、極東の人々は性別に関係なく「水兵シャツを着て生まれてきた」と言えます。この着心地の良い軍服の一部はウラジオストク市民の普段着の一着となりました。これは、海軍と極東は切っても切れない関係にあり、一体であるということを示しています。もともとウラジオストク基地は、ロシア帝国の東部領土を統制する目的で海軍兵士によって創立されたのですが、これはこの町の忘れてはならないポイントです。ウラジオストクには軍艦、原子力潜水艦、ディーゼル潜水艦や特殊船舶などが在籍しているロシア太平洋艦隊の基地とその本部が置かれています。

歴史上でロシアと日本の海軍が衝突したのは1904-1905年の日露戦争(「最後の紳士の戦い」)と1945年の日ソ戦争の2回でした。特にロシア人にとって悲痛な出来事として思い出されるのは旅順要塞の防衛や対馬海峡の戦いです。運命的に、現在の太平洋艦隊旗艦の親衛ロケット巡洋艦も「ワリャーグ」と名付けられ、海外訪問入港の際に非常に大歓迎され、速射砲に触りたい来艦者の長い行列ができます。ピョートル大帝湾や日本海の海域ではインド、中国、日本の海軍との共同訓練が定期的に実施されています。

海軍関連の祭りや記念日は誇り高く華やかに祝賀されます。「ロシア連邦海軍の日」は常に7月の最後の日曜日に祝賀され、この日にはアムール湾の沖で太平洋艦隊在籍軍艦の観艦式が実施され、武器や装備の戦闘能力を実証する演習が行われます。また、太平洋艦隊の歌や踊りのアンサンブルの公演、ネプチューンやその従者の仮装パレードや、花火の打ち上げも行われます。

5月9日の「ビクトリー・デー」には古き良きしきたりに従って兵器機材や軍事部隊のパレードが開催され、ウラジオストク市民はこのショーを観賞するために朝早くから場所をとります。

グルメ・ツアー

ロシア料理、特に海産物がたっぷり入っている極東料理は日本人の口に合うこと間違いありません。日本にあるロシア料理店で最も人気のあるボルシチやピロシキは、極東「多民族」料理が日本人のグルメに提供できる昔ながらの味のほんの一部にすぎません。ウラジオストクではどんな食事も「味の祭り」となります。一つの皿にロシア料理とアジア料理、またウスリー・タイガの恵みと海の幸が一緒になっています。例えば、ホタテ、キンコ、ナマコ、シジミ、キュウリウオ、松の実、ワラビ、マタタビ果実、ラムソン、朝鮮五味子などです。前菜にはロシア風のツルコケモモ付けのザワークラウト、キンコとワカメの和え物、ソ連在住の韓国人が考え出した料理「韓国風のにんじん」が出されることもあります。ウクライナ由来の料理であるポテトあるいはキャベツ入りのワレーニキでも、沿海地方ではサワークリームではなく、日本製の醤油を付けて食べます。

極東風のロシア料理は美味しいだけではなく、その食材は体に非常に良く、ストレスへの適応力を高めるのに有効な成分を含有している食品として広く知られています。レストランで美味しく体に良いものを食べるだけではなく、お土産として極東エネルギーの一部を持ち帰ることもできます(「ウラジオストクから何を持って帰る」ページを参照)。

アクティブ・レジャー&アウトドア

ウラジオストクは好奇心が強く、観光バスやホテルで過ごしたくないという方にレジャー活動の一例として、ヨット・スポーツ、レーシング、夏と冬の魚釣り、水泳、ダイビング、狩猟、ボートレース、サーフィン、野生植物採集などをご提供できます。スポーツが苦手な方には、夏季にはビーチでのひととき、日光浴や水遊びを、冬季にはアイス・ウォーキング(氷上の散歩)や冬の魚釣りをお勧めします。

日本から最も近いヨーロッパ

日本からウラジオストクへの旅は、気分転換のための2‐3日間の旅行として最適で、手間要らずの簡単な旅行とも言えるでしょう。ウラジオストクは日本から最も近いヨーロッパの都市です。直行便ならわずか2時間。そこは、ヨーロッパ式の建築やアジアとは異なる雰囲気、そしてロシアの人々と出会える、全く別の世界ですが、それと同時に、道路を走る車は日本製がほとんどで、和食店もあり(日本料理が懐かしくなったら、どうぞ)、また地元住民の日本人への友好的な態度など、親日的な雰囲気を感じずにはいられない町です。

ヨーロッパとアジアの文明が融合する町

ウラジオストクの独特な地理的な位置は、アジアとヨーロッパ文明の融合の前提となりました。19世紀の終わりのウラジオストクでは、ドイツ人、デンマーク人、アメリカ人、イギリス人、中国人、韓国人、日本人とロシア人が隣り合って暮らしていました。中心部の歴史的な建物のある一画では、様々な時代に「Kunst&Albers」、「Johann Langalite & Co」、「Churin&Co」、「Lindholm」、「Brinner,Kuznetsov&Co」、杉浦商店などの商社や、横浜正金銀行、松田銀行部、朝鮮銀行が営業していました。現在も古き良き時代と同様に、ウラジオストクでは外国企業の支部や代理店、海外マスコミのオフィスや非営利組織の支部が機能しています。

ギャンブル体験

日本ではギャンブルが違法とされているということを考えると、ウラジオストクが日本のギャンブラーのためのメッカになるかもしれないという可能性も否定できません。公認ギャンブルゾーン「プリモリイェ」がウラジオストクの近くにあります。現在のところ、開業したのはカジノ「Tigre de Crystal」だけですが、将来的にはこの区域にショッピング・センター、ホテル、アクアパーク、スキー場などを備えた「極東マカオ」が開発される予定です。週末にはライブ・ミュージックや賞品の抽せんがあるパーティーが開催されています。

日本人に対しての好意的な態度

日本語ができるロシア人(主に日本学科の卒業生)の多さ、日本学の深く豊かな歴史、日本人や日本文化に対しての好意的な態度は、両国関係発展の大きな潜在力を物語っています。町を歩いているときに、日本語で話しかけられてもびっくりしないでください。それほど日本語が普及しているのです。日本人の観光客はよくロシア人特有の優しさや友情、助け合いという性格に気付きます。ウラジオストクのホスピタリティが、ロシアについての「冷たい国」というステレオタイプ的なイメージを変えると期待しています。

様々な世代のニーズへの対応

ウラジオストクは「学生の町」であるということもあり、ダイナミックで活気があります。ですから、若い観光客にも自分の興味に合ったものがきっとみつかるでしょう。まずは、旅行前の準備としてウラジオストクで撮影された映画「ホテル・ビーナス」(主演:草なぎ剛)をご覧下さい。