ここは恐らくウラジオストクの最も独特な見どころでしょう。ウラジオストク要塞のような施設は世界で残っていません。その着工は19世紀の終わりに始まりました。1904-1905年の日露戦争の時に旅順が陥落してから、ウラジオストクの防衛は急速に進化させられました。その段階は機能的な側面だけではなく、美的な側面も考慮した軍事建築家のアレクセイ・ショーシン氏に関連しています。彼こそが「ロシア人が永久に残る」というウラジオストク要塞のスローガンを考え出しました。
建設は革命までに続いていました。1923年にはソビエト政権と日本人の相互同意に基づいて都市が武装を全面的に解除されました。しかし、1930年初頭には再び日本とソ連の間に戦争の勃発の可能性が出てきたので、ウラジオストク要塞が再開されることになりました。古い軍事施設を修復し、新しい施設を建設し始めました。一番印象深いのは「ポルタヴァ」主力艦から移設された巨大な砲塔や、数階の地下階からなっているルースキー島のヴォロシーロフ砲台です。
要塞の施設はウラジオストクの郊外をはじめ、ピョートル大帝湾の諸島などの巨大な領域にわたって散らばっています。どこに行っても、必ず要塞施設のどちらかに直面します。
ウラジオストク要塞地博物館は名誉警備の交代、カイザーフラッグの掲揚、毎日昼12時の射撃などの古代儀式を再開しました。
ウラジオストク要塞地博物館は中心地のバタレイナヤ通りに所在するベズィミャンナヤ砲台のもとで営業しています。ルースキー島のヴォロシーロフ砲台も博物館に変わっています。ちなみに、その大砲は1987年にバレンチン・ピークリの小説に基づいて撮影された「ムーンサウンド」映画でも使用されていました。「ザリャー」の辺りは要塞7番を見学し、その地下に降りることが出来ます。ルースキー島への橋の辺りに所在する岸壁砲台も公開されています。ウラジオストク要塞は実戦に参加する機会はありませんでしたが、ウラジオストクを攻撃から防衛する当初の機能は十分に果たしました。
全ての防衛施設は「ウラジオストク要塞」のインターアクティブ・マップに記載してあります fortvl.ru。ウラジオストク要塞を見学する際は、ウラジオストクのディッガー・クラブのサービスをご利用下さい vladdig.org
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