どん底において

ミリオンカ街

ミリオンカとはポグラニチナヤ通り、セミョーノフスカヤ通り、アドミラル・フォーキン通り、アレウツカヤ通りで囲まれたウラジオストク市中心地にある一区域で、19世紀末から20世紀初頭にかけて建設された赤レンガ造りの旧市街の中にあります。この旧市街の建築の特徴としてアーチ、通り口、バルコニー、迷路、レース状の窓の格子、中庭の井戸などが挙げられます。ミリオンカという名称の由来には2つ説があります。一つ目によると、セミョーノフスカヤ通り3/8番地の建物には20世紀初頭に数千もの中国人居住者が住んだため、そこがミリオンカと呼ばれていました。二つ目の説は、この旧市街の住民が非常に貧しい生活を送っていたため、皮肉に「百万長者」(ミリオンシク)と呼ばれていたという説です。

当時のミリオンカはにぎやかで、恐ろし気な場所でした。この地区には売春宿、不法な賭場、阿片窟などの店が並んでいました。この区域は中国人マフィアの勢力範囲でしたので、ロシア帝国の法律はほぼ機能しませんでした。ここには密輸業者、通貨偽造人、闇商人、薬物乱用者、売春婦や他の闇社会の代表者が出入りし、中国人の暴力団団員が隠れたりしていました。ウラジオストク住民のなかでは、秘密の通路や迷路状の地下街があるという伝説がまことしやかにささやかれています。

作家のアルカーディー・ガイダール氏は1932年にミリオンカ街を訪れ、日記でそこについての記録を残しました。その後、1936年にミリオンカは消えました。社会的な面、衛生の面から危険な「中華街」が、NKVDの特殊作戦によって破壊されました。しかし現在でもミリオンカ街の場所は、依然として旧市街の魅力を保っています。ここには過去のウラジオストクのスピリットがそのまま残っています。

また、この場所をめぐって様々な歴史的想像を掻き立てる伝説が伝わっており、冒険好きな人々に刺激を与えています。その最たるものはコルチャクの黄金です。この黄金がどのようにウラジオストクに入ってきて、どう「ギャング共和国」のスラム街に消えたかについて、いくつかの説があります。

全ての推論、また黄金消失の事実自体を否定する人もいます。とはいえ、この出来事が現実だという可能性を示す記録が公文書に残っています。1922年にアレウツカヤ通りのあたりで死にかけている日本軍将官を見つけた清掃人やコックたちの証言によると、その将官の最期の言葉は、彼がハバロフスクから長持ちに入れて持ってきた軍事資金としての黄金を、白軍の二人の兵士が盗んだ、ということでした。

古い建物で現金の入った金庫を発見したという話も時々出ます。更にミリオンカ街の詐欺師の子孫は現在も、住民や観光客に壊れた古い壁から出てきた帝国時代の珍しいコインを買いませんか、とささやいてきます。もし骨董品に興味があるなら、購入する前に十分注意して、まず専門家に助言や鑑定を求めて下さい。

ミリオンカ街の伝説は沢山あり、ある人によると、そこには誘拐された水兵や賭けに負けた美人の幽霊が夜出るそうです。または、この伝説的な地区の下にある地下迷路を使えば、中国まで行けるともささやかれています。

現在もこの旧市街の中庭に入ると、簡単に道に迷います。今日のミリオンカ街は喫茶店、画廊、アートでいっぱいで、散歩には最適な場所です。アーティストはミリオンカに対して、特別な愛着を感じているようです。

ミリオンカ街の王様

ミリオンカ街を散策する際、「街の時間」観光ビューローのサービスを是非ご利用下さい。

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