アンバ 希少で、美しく勇敢な動物

写真:Y.スミチュク、A.ヒトロフ; イラスト:A.サフチェンコ; 文:V.アフチェンコ

この種のトラを、「アムールトラ」というべきか、それとも「ウスリートラ」とするべきかについては、今でも議論が続いています。「中国北部のトラ」、「朝鮮トラ」、「満州トラ」と言われていた時期もありましたし、ラテン語ではpantheratigrisaltaica ですから、「アルタイトラ」です。外国では「シベリアタイガー」とも言われています。

沿海地方は氷河期の凍結を免れたため、クリミアの緯度がコルィマの経度に負けたとは言っても、コルクガシ、蔦植物、ヒョウなどが生き残りました。そしてトラも、南の動物でありながら北の気候に適応し、トラの種類としては最も大きく、長くて密集した被毛を持っています。

市街地にトラが現れることはめったにありません。1986年に一匹のトラが、「ワリャーグ」停留所に出現したくらいです。ですがタイガの村落にはトラがやってくることがよくあります。

アムールトラは昔から文学作品にも登場しています。ハルビン系ロシア人作家のニコライ・バイコフ(1872-1958)の作品に、「偉大なるワン」という小説があります。トラの頭の模様が中国語で「ワン・デ」すなわち「偉大なる征服者」の文字に見えるのです。トラの縞模様は、人間で例えると指紋のように、一頭一頭個別のものになっています。

「極東に住む民族はトラを超自然の存在で、賢く、またその他の人間や神の性質を持つものと見なしてきた」とバイコフは書いています。タイガに住む人々はトラをそのまま名指しすることを恐れ、他の言葉を使いました。その例が「アンバ」で、現地語で「大きな」という意味です(ロシアでは熊がそのような存在でした)。

アンバ 希少で、美しく勇敢な動物

トラはウラジオストクおよび沿海地方の主要なシンボルです。ウラジオストクの中心部にはトラの丘と、その名前のついた通りがあります。その近くの海岸沿いにはトラのブロンズ像もあります。この像の牙を触ると、願いが叶うともいわれています。

1990年代の終わりに、文学者で自然学者のウラジーミル・トロイニンが「トラの日」を記念することを提唱しました。この記念日は広く受け入れられ、2008年からは州レベルで祝われています。

20世紀後半にはアムールトラは 絶滅の危機にさらされました。そこで21世紀の初頭からは、トラを絶滅から救うために積極的な活動が行われています。眠るトラにキスをしたロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、2013年11月アムールトラと極東ヒョウの保護に関する一連の法令に署名しました。 現在、野生のアムールトラの生息数は回復し、沿海地方 およびハバロフスク地方、アムール川およびウスリー川流域で約1500匹が生息しています。

アメリカの俳優レオナルド・ディカプリオ、「アンバ」というアルバムを録音し、”Sorry tiger” という歌を英語で歌った地元ウラジオストクの歌手イリヤ・ラグテンコ等の著名人も、トラの保護活動に積極的にかかわっています。

かもめ

写真:A.クワシナ(LookatVladivostok); 文:A.ハウストフ

かもめが着水したら、天気が良くなる(船乗りの迷信)

どんな港町でも、カモメとの関係は特別なものです。カモメは海や、故郷の岸辺や、自由や、独立にまつわるあらゆるもののシンボルですから。船乗りにとってカモメは、最も大事な鳥であり、船にカモメがいると幸運を運んでくる、もうすぐ家に帰れると信じられています。また、カモメには死んだ船乗りの魂が乗り移るのだとも信じられていました…

カモメはもちろんウラジオストクのシンボルにも入っており、企業やイベントののロゴ、地名にも見ることができます。有名なアーティスト・デザイナーのラウラ・コレスは、素敵で可愛らしい「手乗りカモメ」を手作りしています。

地上で一番希少な猫

写真:E.ロンデュ; 文:V.アフチェンコ

アムールヒョウは優雅で力強く、ずる賢く、勇敢な動物です。獰猛で、タイガの王座を狙うもう一人の候補者です。

アムールヒョウは地上で最も希少な猫ともいわれています。150年前、当時「バルス」と呼ばれており、朝鮮半島、中国北東部、沿海地方南部に生息していました。21世紀の初頭までには沿海地方南西部のハサン地区に生き残るのみとなり、現在50頭程度が生息しています。

アムールヒョウを保護するため、「ヒョウの国」国営公園がこの地域につくられました。2007年から13年にかけて、ヒョウの頭数は30頭から47頭へと、1,5倍になりました。しかしまだ楽観することはできません。隠しカメラで新しい幼獣の誕生を確認することはできます。が、専門家は100-120頭程度にならなければ、安定しているとは言えないといいます。

学者たちはアムールヒョウを、その毛皮の模様から一頭一頭個別に認識しています。一頭ごとに「パスポート」があり、固有の名前もついています。ミクルシェフスキー知事は自身が保護するヒョウの名前を「デルスー」とし、ミュージシャンのラグチェンコは「メアムール」、ガスプロムは愛国心を込めて「クリミア」、ホッケーチームの「アドミラル」では、伝説のフォワードであるハルラーモフにちなんで「ワレーラ」と名付けています。

ゴマフアザラシ

写真:V.ベルコフ, A.ヒトロフ; 文:L.ベロイワン

ゴマフアザラシは可愛らしくて、自由で、好奇心旺盛で、それでも用心深いアザラシの一種です。数年前まで、ウラジオストクの近くに海の動物が住んでいることはあまり知られておらず、今でも「アザラシが人里近くに来るようになったのはどういうことなんだろう」と疑問に思う人は多くいます。実際のところ、アザラシは人間の近くに出てくるようになったのではなく、必要だからやってくるのです。アザラシは海岸での休憩が必要で、もともとルースキー島やウラジオストクのトカレフの猫と呼ばれている砂嘴に来ていたのですが、これらの場所が最近になって市民に人気のスポットとなったこともあって、出現回数が増えたように見えるのです。

アーティスト・作家・海洋哺乳動物リハビリセンターの所長でもあるL.ベロイワンはこう言います-「人間と海洋動物の共存はそもそも当たり前のことで、アザラシのほうが人間よりも早く個人の空間というものを尊重するようになった時代では、ありふれたものでした。共存のルールはいたってシンプルで、休んでいるアザラシを見るのはいいけれども近寄ってはならない、15メートルくらいまで近付いてもいいけれども、大声を出したり大きな動作をしてはならない、写真をとってもいいがエサを与えようとしたり、またなでてみようとするなどもってのほかだ というものです。これらは2種類の生物の種が隣り合わせで暮らさざるを得ず、しかもその一方が自分のほうが進化していると考えているような状況下では、非常に初歩的な最低限のエチケットのルールといえるでしょう。

ピョートル大帝湾に生息する海洋哺乳動物は、ゴマフアザラシだけです。その生息範囲は広く、沿海地方からチュコト地方までの広大な領域で見ることができます。

海洋生物学者はゴマフアザラシの生息グループを主に4つに分類していますが、ここに暮らすのは最も南側に生息しかつ数の少ないグループで、その頭数は最大でも2500頭とされています。「南」ゴマフアザラシの生息地域はリムスキー・コルサコフ島に集中しており、ここは極東海洋国立公園の一部となっています。ゴマフアザラシの繁殖期は2-3月にあたり、4-5週間の母アザラシによる授乳期間が終わると、子アザラシは1人立ちしていきます。

熊の居場所

テキスト:ワシリー・アヴチェンコ

ロシアでは熊は単なる熊という動物ではありません。諺までに根をおろした国民的な動物です。熊(露語:「メドヴェーヂ」)という言葉の語源をみると、蜂蜜を味見するという意味になります。熊の存在自体も国民によって非常に尊敬され、数の多い愛称、通称や遠回しな言い方を生みました。そのなかで「主」、「熊公」、「熊ちゃん」などが挙げられます。ロシア極東では文明から遠くにあり、野生動物が多い「僻遠の地」(直訳:熊の居場所)と言うところが少なくありません。懲役の古い諺によると「法律はタイガで、検事は熊」だそうです。

カムチャッカは最も「僻遠の地」として考えられていますが、熊はどこにでも棲息しています。特に鮭が産卵する川沿いに集まっています。沿海地方も熊がたくさんいます。この地方ではユーラシア最大のヒグマと胸部の白いヒマラヤ熊の2種類が棲息しています。

沿海地方の現地少数民族も19世紀の終わりに当地に来たロシア人と同じように熊の存在を崇拝しています。旅行者や作家のヴラジーミル・アルセーニエフによって記録された地元の民話によりますと、ある日虎と熊が動物の道で女の子と男の子を拾いました。女の子が熊と結婚し、ウデゲ人が生まれましたが、男の子が虎と結婚しても子供は生まれませんでした。そのため熊こそがウデゲ人の祖先だと考えられています。

沿海地方では熊が狩猟可能の動物に属していますが、その狩りは厳しく制限されています。熊の狩猟季節は8月1日にスタートし、11月30日に終了となります。また、穴で冬睡眠をとっている熊の狩猟は禁止となっています。それにもかかわらず、密狩者の銃弾で死んでいる熊がおり、とても悲しいことです。中国料理では熊の足が珍味と考えられ、またその胆汁が東洋医学で高く評価されているため中国へ密輸されていますが、かなりの数もまた見つけられ、没収されています。

しかし沿海地方において、熊の人口が全滅の危機にさらされているとは言えません。専門家によりますと、最近の熊の獲得は合法的、違法なのも含めて、減少しています。熊の肉は食品としての用途はあまりなく、また熊の狩猟ライセンスは安くありません。熊の派生物の海外輸出はCITES協定によって制限され、ロシア連邦税関局はこの密輸の取り締まりに成功しています。ロシア国内について言えば、このような商品は全く需要がありません。

沿海地方では1年に300匹の熊の獲得が許可されていますが、事実上獲得した頭数がこの制限頭数まで至っていません。沿海地方では6千匹以上生息し、その熊の数量 は増加しています。

2015年にはハバロフスク地方や沿海州地方の住民が熊の襲来に直面しました。動物は遠慮なく都市部に入り、ある1匹はハバロフスクのスーパーにも来ました。ということは、熊が平気で外を歩いたりするという沿海州地方についてのイメージは、あながち誇張ではないかもしれません。